Heart of Stone 後篇
宴が果て、ファラミアは黄金館の一室に与えられた寝室にさがった。
エオウィンは娘時代を懐かしみ、かつて使っていた部屋に寝ると言っていた。
賓客用の寝室とは言え、ミナス・ティリスの塔とは違って、天井が低く質素で剛毅なしつらいの部屋だ。
夜着に着替え、寝台に近づくと、寝台脇の蝋燭が短くなって消えかけているのに気付いた。
不案内な屋敷ゆえ、消えてしまう前に補充しておこうと、ファラミアは燭台を取って廊下に出た。
夜着一枚ではひんやりと寒い廊下。大きな石を組んだ壁のところどころに嵌められた灯りと、手元の蝋燭を頼りに、ファラミアは使用人の部屋を探した。
もちろん、声をあげて呼べば誰かが駆けつけてもくれようが、ファラミアはどちらかというとこういうとき自分の腰を上げる気質なのだ。
長い廊下の途中、重厚なドアのひとつがわずかに開いているのにファラミアは気付いた。
誰かが中にいれば道案内を聞こうと近づいて様子をうかがってみると、灯りの気配のないその部屋から、押し殺した嗚咽が漏れてきた。
すすり泣きではなく、枕を噛んでも堪えきれないとでもいうような、明らかに男の声だった。
ファラミアは手を掛けたドアからとっさに手を離した。
泣くことを恥と思う部屋の主の心を一瞬にして感じたからだった。しかし、誰も見ていないというのに決まり悪くて素早く立ち去ることも出来ない。
ファラミアがためらったその一瞬に、大股の荒っぽい足音が一気に近づいてきて、扉が開けられた。
とっさに身を引こうとする努力も空しく、ファラミアは胸ぐらをつかまれて、怖ろしい力で真っ暗な部屋に引き込まれた。
『な、何をするか!』
隣国の王家の城の中、と思う理性から大声を上げるのをためらったファラミアは、低いが威厳のある声で暴漢に抵抗した。
しかし男は寝台にファラミアを投げるように押し付け、かすかに土の匂いのする掌で口を塞いだ。
『セオドレド・・・』
戦死した王太子の名を呼ぶ、ファラミアの顔にかかる男の息はひどく酒臭かった。
しかしその声は、その顔はまごうことなくローハン王エオメルのものであった。この部屋は王の孤独な寝室だったのだ。
『帰ってきてくれたのか・・・』
酒と感情に酔い尽くした若き王は、組み敷いたファラミアを荒々しく掻き抱いた。無骨な手に触れる柔らかい髪の感触。
兄弟のように育てられた従兄弟のセオドレドをエオメルは深く愛していたが、その思いは王太子と騎士という立場ゆえに封印された。そしてそのまま、セオドレドは命を落とし、エオメルの愛は永遠に行き場を失ったのだ。
ファラミアは混乱の中、エオメルが自分をセオドレドと勘違いしていることを理解した。
小さな窓からかすかに漏れる月明りの下、エオメルはファラミアの頬にいとおしげに触れ、生え際の髪に指を通した。
『セオドレド、あなたが私を愛してくださっていたことを知っています。そして、私があなたの思いを知らぬふりをしていることに気付き、それが賢明だと思っておられたことも』
エオメルは震えながらファラミアの額に唇を落とした。
『しかし、私はあなたを失ってから、それが間違っていたことを嫌というほど思い知らされた』
ファラミアははっとした、エオメルの言葉が自分にも思い当たるものだったから、そしてエオメルの唇が燃えるように熱かったから。
なんとかエオメルの酔いを覚まして正気に戻さねば、という意気込みが薄れてゆくのを感じる。
このまま、セオドレドの身代わりとしてエオメルに抱かれても構わないと思った。
いにしえの伝説によくあるように、酔いや魔法で幻惑されてかなわぬ思いを遂げたと思い込む、それのどこがいけないだろうか。
それとも本当は、ファラミア自身がこの剛毅の国の熱い血汐の王に抱かれたいと思う気持ちの表れだっただろうか?
そうだとしても、ファラミアの自我は不思議と、自分の正体をエオメルに知らせることに固執しないのだった。
エオメルの涙が一粒ファラミアの頬に落ち、それに続いて唇が唇に重ねられた。
長年求めてきたものが突然目の前に現れた時の、独特のためらいをもって落とされた唇は、野を駆けるがゆえのがさついた感触だった。
エオメルは泣きながらファラミアの唇を求めた。嗚咽の隙間に熱い息とともに舌が差し込まれる。
エオメルが秘めてきた熱く真っ直ぐな愛情と、尊敬ゆえの不器用な逡巡をファラミアは感じた。どこか兄に似た、年下の男。
長いくちづけを終えたエオメルはファラミアの耳元に鼻先を埋めた。暗闇の中、ゆるく波打つセオドレドの美しい金髪を思い浮かべ、鼻先で髪を梳きながら首筋に軽く噛むような愛撫を落とす。
空いた手が焦がれるように背中を這い、ファラミアは思わず漏れそうになる吐息を堪えた。
他人の身代わりに抱かれながら、気付かれぬように気を使うなんてどこまでお人好しなのだ―――ファラミアが自分に呆れかけたそのとき、エオメルが脱がそうとしたファラミアの夜着の胸元から、一輪の白い花が落ちた。
エオメルはそれを摘み上げて一瞬見入り、それから弾かれたようにファラミアから身を起こした。
それはファラミアがミナス・ティリスを出立するときに金髪の少女からもらった花、そしてそれはローハンでは特別な意味を持つ白い花、シンベルミネの一輪だった。
哀悼の意味を持つ花を見て、エオメルはセオドレドの幻影から現実に立ち戻った。
『そなたは・・・!』
酒に酔った頭の理性をかきあつめて、エオメルは自分が押し倒した男の正体を見極めようと闇の中で目を凝らした。
『ファラミア殿・・・?』
ファラミアはとっさにエオメルの肩を押さえた。
『構いませんよ、あなたがよろしいのなら』
エオメルはファラミアの声に潜む静かな色気と共感の調子に驚いた。
妹の夫、年上の義弟。どちらかというと近寄り難い穏やかな白皙。儀礼以上の付き合いを持つことはなかろうと漠然と思っていた相手。
酒に酔った男に人違いで押し倒され、憤慨するどころかさあ続きを、という思考はエオメルの理解を超えていた。
『正気で言っているのか』
エオメルは最後にもう一度確かめ、そこには憤慨の調子が含まれていた。
『正気ですよ』
月が高くなってきたのか、今度は見上げるファラミアの顔がはっきりと見えた。
確かに美しかった。
この知的な仮面の下で自分を誘うものは一体なんだろうとエオメルは思う。
それが、行き場を失った無念の愛という共通の心の棘だということを、ファラミアは自覚し、エオメルは自覚していなかった。
『もう、この先は』
エオメルはファラミアの顎をつかんだ。
『やめろと申されても止めることは出来ぬが、よいか』
ファラミアは何も答えずに口の端だけで微笑み、エオメルはその唇をいま一度塞いだ。
セオドレドの幻を抱いていた先刻とは違い、熱く生々しい感触がエオメルを翻弄した。男女を問わず、人の肌に触れるのは一年以上ぶりになる。
相変わらず荒っぽい口づけだったが、ファラミアにとって不快ではなかった。
すでにはだけられた夜着の内側にエオメルの手が入り込み、ファラミアの胸板をまさぐるように撫でた。
ファラミアはぐっと背を反らして答える。
その均整の取れた、印象より筋肉質の身体の感触はエオメルにやはり駿馬を思い起こさせた。
馬を乗りこなすように両膝でファラミアの腰を挟み、エオメルはファラミアの肩口に唇をつけた。そして顔に触れるファラミアの柔らかい髪を除けながら耳元に囁いた。
『奥方に触れられるのとは勝手が違おう』
奥方とはもちろんエオメルの妹、エオウィンである。
『だから、なんだ?』
反論しながらも、何かを見抜かれているようで、ファラミアは身体が熱くなるのを感じた。妻との寝室とは別に、男の荒い手に抱かれるのも嫌いではないということを。
さらに耳と首筋にはエオメルの熱い息がかかり、時折唇と舌が触れてくる。
ファラミアは背筋を上る快感に思わずエオメルの逞しい肩をつかんだ。
『構わん、もっときつくつかんでも構わんぞ』
そう言って煽るエオメルの声も興奮に上ずっている。
エオメルの太腿にしっかりと押さえられているその下で、ファラミアの下肢の中心が疼いた。
ファラミアは窮屈な腰をそれとなく持ち上げた。それをエオメルは見逃さなかった。
エオメルはにやりと笑って、持ち上げた片膝でファラミアを刺激した。
ファラミアは思わずあげた声を抑えるために手の甲を口にあてた。
その手をエオメルの手が上からつかんで除ける。
『別によいではないか、誰も聞いてはおらぬ』
『殿、あなた、が』
ファラミアは反論したが、エオメルは笑みを拡げただけだった。
『獲物が啼くのを、嫌がる男などおらぬ』
獲物という言葉にファラミアは眉をひそめたが、否定できる状況にはなかった。しかも、自分から狩人のもとに飛び込んだ獲物だ。
その間にも、エオメルは不躾なほど堂々とファラミアの着衣を剥ぎ、その手で直接にファラミア自身をつかみ、扱き始めた。もう片方の手はほどよく筋肉の付いたファラミアの内腿を愛でるように撫でまわす。
『わたしは、獲物、か』
もはや途切れ途切れにしか言葉も出なかった。
『ローハンの男は誰でも、美しい獲物が好きだ』
エオメルはそう言うと同時に、すでに張り詰めたファラミア自身を口に含んだ。
荒い息の合間に漏れる掠れた声をエオメルは好ましく思った。
堪えず啼け、と言っておきながら、簡単に嬌声をあげる男など好きではなかった。
あと僅かで達しそうになるところでエオメルは口からファラミアを放した。
そのエオメルの絶妙の勘にファラミアは翻弄された。
うながされるままに身体の向きを変え、後ろを晒させられることすら、開放を求める本能に羞恥心が負ける。
ファラミアは、エオメルが自分の掌につばを吐きかける音をぼんやりと聞いた。
エオメルの手が自身の猛り立つものを湿らせる様子すら簡単に想像できる。
『待たせたな、ファラミア殿』
背中にエオメルの立派な裸身が覆い被さり、次の瞬間には後ろから一気に貫かれた。
ファラミアは目の前が赤くなるような衝撃に耐えた。
痛みが焦れるような快感に変わるのを感じながら、エオメルの身体に染み付いた野生の匂いを吸い込む。
『行くぞ』
エオメルの力強い声を耳元に聞くが早いか、容赦ない突き上げがファラミアの身体の内側を襲う。寝台についた自分の手の関節が白く見えた。
膝が崩れそうになるのを堪えるだけで精一杯になり、文字通り自分がエオメルの獲物になったことを感じた。
このように従属することが決して嫌いではない、ファラミアが自分にそう認めたちょうどその時、エオメルはファラミアの逸物をつかんだ。
片手で楽々と身体を支え、ファラミアを愛撫しながらエオメルは自分の絶頂を追求していった。
ファラミアはとうとう陥落の声をあげ、エオメルがはばかりない歓喜に身体を震わせるのを感じた。
汗に濡れたエオメルのみごとな肉体は、力を抜いてファラミアの傍らに落ちた。
エオメルはうつ伏せのまま首の向きを変えて、汗に濡れた額に腕を乗せているファラミアを見た。
みごとに隆起した肩の筋肉がかすかに動く。
『ファラミア殿、失礼したと言うべきか』
ファラミアは憮然としてエオメルの顔を見て、その不器用で少し間抜けな、それでいて真摯な表情についふき出しそうになった。
『謝らないで頂きたい』
ファラミアは真顔に戻って続けた。
『生き残る、生きているとはこういうことです』
思いのほか激しかった情事に乱れ疲れたファラミアが、この期に及んで哲学問答を繰り出してくることに今さらエオメルは驚いた。
面倒くさい男だが、生活することと考えることが切っても切れぬのだろうと思った。
そして、ふと思い立って訊ねてみた。
『あんたは、亡くなられた父上や兄君にかなわぬと思うことはないか』
ファラミアはエオメルを見た。
乱れた金髪に縁取られた野性的な顔がどこか所在無げに見えた。
『私は・・・むしろ何時でも、そのように思っている』
ファラミアは独り言のように続ける。
『私は、ミナス・ティリスの療養院で目を覚ましたとき、助かったことに感謝する前に死に遅れたと感じた』
エオメルはそのするどい目をファラミアに向けた。
ファラミアはその視線をまっすぐに受け、照れくさげに少し逸らす。
『それでも、生き残ったものは生き続けていかなくてはならないのです』
しばしの沈黙がふたりの間に落ち、またファラミアが口を開いた。
『このように傷を舐めあって、慰めあったりしてでも』
ファラミアはエオメルに笑いかけたが、その表情は自嘲というよりは冗談めかしたもので、エオメルもつられて小さく吹き出した。
それからファラミアは静かに目を閉じ、エオメルはあまり変わらぬ高さからその顔をしばらく眺めた。
石のような冷たい心を持つ男、そう思っていたファラミアの強さを、いまだ不思議そうに。
次の朝、ファラミアは再び馬上の人となってエドラスを発ち、五日間の穏やかな行程ののちミナス・ティリスに戻った。
往き帰り十日あまりも森や草原を旅してから戻ると、石の都の門をくぐるとすこしばかり窮屈な気もしたが、それでも安堵感には代えがたい。
イシリエンの居城に戻るまでに、数日を都の書庫で気ままに書物を読み解いて過ごせるかもしれぬな、などと考えながらファラミアが馬を進めていると、行きがけに花をくれた金髪の少女が通りを歩いているのを見つけた。
母の使いなのか篭を提げている。
ファラミアは少女を呼び止めて花の礼を言い、それからひとつ訊ねた。
『きみはローハンの子かい?』
少女は嬉しそうにファラミアに笑いかけ、父はローハンの騎士、母はゴンドーリアンなのだと答えた。
それから少し誇らしげに、それでも兄さんは来年からエレスサール王さまの騎士になるの、と付け加えた。
その事情を容易にファラミアは推測できたけれど、少女にはただ頷いて、兄上と母上によろしく、とだけ言って頭を撫でた。
少女が行ってしまうとファラミアはまた、王が待つ城に向けて石畳を上って行った。
おしまい
狩公書きなら一度は書いてみたいメルファラにトライしてみました。
いまいち接点がないだけにこじつけるのも難しいですね・・・なんか本当にこじつけっぽくなってしまいました。
・指輪戦争後生き残り組(親しい人を亡くしている)
・年下の義兄と年上の義弟
・性格も育ち方も正反対
そんなことを考えながら書きました。もちろんエオメル→セオドレド、ファラミア→ボロミア前提ですね。
ところで、私はファラミアが大好きなので、『指輪物語におけるファラミアの存在意義』みたいなことを考えてしまうのです。
なんとなく、彼は「戦後に必要な人間」として出てきているように思うのです。戦争で荒れた世界に必要なのは理性と知性、なのではないかと。
彼はフロドの使命を理解し、指輪を遠ざけられた人間としても重要だけど、それもまた理性と知性のなせる業ですよね。
トールキン教授は指輪物語は現実世界のメタファーではないとおっしゃっているけれど、やっぱり二次大戦のあとに書かれたということは無関係ではないような気がする。
映画ではファラミアの存在はそこまで描かれてはいなかったけれど、それは仕方ないですよね。映画としては、希望の象徴はアラゴルンに集中されるべきだから。
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