underneath the sky
一、二、三。さらに左手に四、五。
ボロミアは夜明け前の群青色の闇の中で、木陰のオークの気配を数えた。
いまだに大将のくせで、左翼には誰がいたかな、などということを一瞬考えてしまう。
今はゴンドールの小隊五十人の野営などではなくて、自分は九人のうちたった一人の夜警なのに。
もちろん、単身でオークどもに夜襲された経験も少なくないので焦るようなことはなかったが、少し敵の数が多い。
先手を打って出なければ後ろに回られる危険がある。どうせもう気配は気付かれているのだ。
そう心を決めたボロミアが剣の柄に手をかけた瞬間、草叢が大きく揺れ動いて手前側のオークが二頭飛び出してきた。
ボロミアは落ち着いた所作で腰を落として力をため、低い袈裟懸けで最初のオークを一撃で倒した。返す刀で次の一頭にも傷を与え、続く突きで息の根を止めた。
それを合図に後ろの三頭、さらに続いて岩陰から三頭が向かってくるのが次第に明るくなる森の空気の中に見えた。
―――やはり数が多いが・・・
ボロミアは自負する剣の腕に頼ることにして構えを整えた。
左側からの一撃を力強く盾で受け、正面を抑制しながら右側の一頭に剣を繰り出す。
一度に三頭なら相手に出来そうだ、そう思った時、一頭が隙をついて背後に回る気配を感じた。すばしこいオークだ。
―――まずい!
盾を捨てて脇差を抜こうとしたボロミアは、オークとは異なる駆足の足音を聞いた。
その足音は驚くべき速さで接近し、ボロミアは背後で剣の閃きとオークの呻きを聞いた。
『アラゴルン殿か!』
ボロミアは黒い上衣の裾を目の端に留めて叫んだ。
『ボロミア殿!私は右手を!』
二人は夜明けの最初のひかりのもとで目を交わした。
ボロミアには、アラゴルンが口の端で少し笑っているようにすら見えた。
ひとの苦戦を軽く笑うなんて、とボロミアは僅かに自尊心が疼くのを感じたが、援軍のありがたさには変わりなかった。
熟練した戦士二人にならば臆するような敵数ではない。
ボロミアとアラゴルンは互いの背後を護りながら剣を振るった。
都合九頭のオークの一団は十分足らずですべて切り伏せられた。
もうすっかり明るくなった空の下、ふたりは小川の畔に座ってオークの血で汚れた剣を濯いだ。
『アラゴルン殿、援軍に感謝します』
重々しいボロミアの物言いに、刃毀れを改めていたアラゴルンはくすくすと笑った。
『援軍などとおおげさな!』
アラゴルンは、ボロミアの腰に提げられた立派な拵えの角笛を目に留めてさらに声を出して笑って言った。
『もっと早く、その角笛をお吹きになったらよかったのに!』
ボロミアはからかうようなアラゴルンの調子にすっかり気分を害した。
『アラゴルン殿、あなたは無責任すぎやしないか』
ボロミアの視線は剣の上を滑るアラゴルンの右手のバラヒアの指輪に注がれた。
『あなたは我々のまえにあなたの血統を明らかにしたのだから』
アラゴルンは天を仰いだ。
朝のまだ淡い色の空を、高く軽い雲がゆっくりと流されてゆく。
無冠の王族などと言われ、帝王学を教わりながらもひとつも実感できなかった幾十年も前の若者時代から、慣れ親しんできたこの空のもとの孤独。
統治者となるべく訓練と経験を積みながら、その血が流れていないというだけで玉座には決して座れぬ隣の男と、どちらがあの城にふさわしいというのだろう。
『私は王ではない、あなたが言ったように一介の野伏さ』
その言葉に、ボロミアは憤然と立ち上がった。乾ききらぬ剣先の水滴が飛び散ってアラゴルンに降りかかる。
『本当にあなたは無責任だ。もしも任務の途中でないのなら、あなたのなかを流れる血の意味を、この剣をもって知らせてやっても良かったのに!』
剣を持つボロミアの手が震えていた。
切っ先は後ろに手をついて低く座ったままのアラゴルンの胸元を指している。
アラゴルンは不思議なほど平静な気持ちでボロミアの激昂をみていた。
この男にはわかるまいという思い、
それでも出来るならわかり合いたいという渇望、
そしてこの男がかの国のためにしてきたことへの後ろめたさもあった。
『私のこの血に意味があるか無いかは、あなた達が決めることではないのか』
静かなアラゴルンの言葉を聞いて、ボロミアは右手の剣を草の上に捨てて両膝をつき、力を込めてアラゴルンの肩に両手を掛けた。
ボロミアの勢いに呑まれるように、アラゴルンはそのまま後ろに倒れた。
もどかしげなボロミアの声がアラゴルンの上に降り注ぐ。
『時には、それを持つものより持たざるもののほうがその意味をよく知っていることがあるのだ!』
組み敷かれたアラゴルンの上を、また雲が流れて行く。
『それでも私はあなたに同胞の匂いを感じるのです。覚えておいて頂きたい―――』
突然アラゴルンは、ボロミアの焦りに今までにない共感を感じた。
同胞という言葉、あるいは―――
アラゴルンは手を伸ばして、朝陽に輝くボロミアの髪に手を差し入れた。
何か言いたいと思った、それはまだ言葉にならなかった。
アラゴルンはその時にはそれで良いと思っていた。
長年空けていた、というよりはまだ見ぬと言ったほうが良い故郷を誰よりも愛し、護ってきたこの男と、ゆっくりわかり合ってゆくのも悪くないと思った。
戦いすんでの朝の空の清々しさに、明日をも知れぬ運命というものをひととき忘れてしまったのかもしれない。
『そろそろ戻りませんか、ボロミア殿』
ボロミアの望んだ言葉をアラゴルンは与えなかった。
それでも、節立った指に梳かれたボロミアの髪がひかりに舞い、その無骨な戦士の表情が少しだけ和らいだようにアラゴルンには感じられた。
End.
アラボロ・ボロアラは大好きなカップリングですが、あまりにも素敵な書き手さんが多いので、読むだけで満足するやら書くのが空恐ろしいやらでずっとほったらかしてきました。
FotRの映画が、あまりにも完成されているせいかもしれません。
私にとってのアラボロは、どうしようもないすれ違いのもどかしさの末に、土壇場で訪れる遅すぎた完全な共感、なのですね(だからどうしても出来上がるまで至らないのです、読んだり見たりするのは大好きなのに・・・)。
遅すぎた理解と共感の激しさが、後悔を伴った楔となってアラゴルンに一生涯刺さり続けるわけですが、そこがどうしようもなく哀しくて萌えです。
アラゴルンの、自分の血統に対する誇りと疑問の葛藤(エレンディルの血でありイシルドゥアの血である)、そして「長き不在の王」に王たる資格があるのかどうかという逡巡。
一方ボロミアは、アラゴルンの存在を知るまでは、執政家が玉座に着けないことにちょっとは疑問を感じていたのではないかと思うのですね。「おとぎ話」だった王の血統が目の前に現れたことへの驚きと畏怖、それと「ゴンドールの危殆にずっと現れなかったくせに今頃何が王様か」という反発の気分。
それが微妙にすれ違い続けてるのが、ボロミアの最期に至って一瞬で解決する。
この微妙SSはFotRの旅の途中のどこかですが、(生きているうちは)未完成なことこそがアラボロの萌えだと思っているので、やっぱりどうしようもない中途半端です(そんないいわけ!)。
二人は共に熟練した戦士ですが、戦い方のスタンスは生きてきた経験を反映しているはずで、その違いを書きながら、「ゴンドール」への共通の思いをほんの少し感じる、といったあたりが書いてみたかったのです。馳夫からエレスサールへの旅の第一歩ですかね。
ところで、私がFotRの映画を見て、はじめて書きとめたアラボロ(ボロアラ?)まがいの小文が出てきたので、ついでに載せときます。
「ナルシルの刃」
そのとき私ははっきりと悟った
私にはその血が流れていないことを
伝説の剣
その刃より増して私を畏怖させたのは
貴方の瞳の紺青の深さ
流浪の衣の下にひそむ英知も
いにしえより祝福された長命も
そしてなににも増してその高貴なる血を私は持ち合わせない
もしも本当に貴方が
我々が長のあいだ待ちわびた不在の王そのひとというのなら
すすんで我が剣を捧げ
身を盾として貴方を守ろう
されどエレスサール、エルフの石との名の如く
貴方は冷たすぎはしないか
貴方の長き不在のあいだ
我が父と我ら兄弟
そして国の民が流した血と涙と辛酸の日々を
貴方に知らしめたいと思う
そんなことは既に知っていると
言葉すくなに
書物に目を落としながら言う姿が目に浮かぶ
それならば私は貴方を組み伏せて
決して貴方にも計り知れないことを
王の不在の国 その民の渇望を
我が血潮の熱さもて知らしめたいと思う
ゴンドールの遅れてきた王よ
貴方の民のもとに
連れてゆくのは私であると知れ
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