Nightwind




『なあ』

仲間たち兵たちが寝静まれば、二人の会話は安酒場の様相になる。
ハルバラドは皮袋の酒をひとくち呷った。

『怖かったか』

パチ、と夜営の熾き火が思い出したようにはぜた。

『俺は金玉が縮み上がるほどおそろしかったぜ』

俄かに盛り返した火が二人の、年月と試練に刻まれた頬を照らす。
選ばれし民の苦悩のような漆黒の髪の影の色はますます濃くなった。

『ああ、怖かったさ』

アラゴルンは大きく開いた膝の間に視線を落とした。

『俺は先達の王の誰ひとりにも誇れるほどの人間ではないからな』

腰に佩いた剣の重みがアラゴルンを苛む。
それでも彼は穏やかな笑みを浮かべた。

血統と経験にそぐわぬ謙虚な表情、それはハルバラドにいつも尊敬や愛しさとともにある種の苛立ちを呼び覚ます。

『飲めよ』

ぶっきらぼうに言って、ハルバラドはアラゴルンに皮袋を押しつけた。
アラゴルンは受け取りながら、ハルバラドの大きな手に自らの手を重ねた。

決して心地よいとはいえぬ無骨な感触にも、ふたりだけが共有してきた時間と絆が伝わる。
その長い時間ももう尽きようとしていることは言葉にせずともどちらにもわかっていたが。

『ハルバラド』

アラゴルンはわざと無造作に酒を傾けた。
口端から零れた酒が髭を伝う。

『ン』

ハルバラドは横目でアラゴルンの表情を見た。
若い日々、数え切れない夜営の夜に「お前は先に休め」というときと同じ顔をしていると思った。

『俺のために命を粗末にするな』

(今更何を言っているんだ)
ハルバラドは呆れてアラゴルンの肩をつかんだ。

俺達は無二の親友だがそれだけではない。
俺が死んでお前が残るのは良い、でもその逆は決してあってはならないんだ。
俺が教えてやらなくても分かっているはずだ。

ハルバラドはもどかしさに語気を荒げた。

『おまえはいつまでたってもどうしてそうなんだ?それなら、この戦で命を落とした奴らはどうなる!?』

アラゴルンの胸に去来したのはひとりの面影であった。みずからの腕の中で最後の息を聞いた男の。
眼差しは自然と、”ゴンドールの息子”の遺した籠手に注がれた。

ハルバラドはそれを見て、彼ら主従の物語を心の中で完成させた。
そしてそれ以上は言わなかった。

(そろそろわかってくれよ)
掴んだままの肩を放すタイミングも逃したまま、ハルバラドは力なく河岸の湿った夜風に吹かれるに任せていた。
それから、まだ最初に得て最初に失った家臣の忘れ形見を見詰めているアラゴルンの手から、酒袋を奪って飲み干した。




満帆に川風をいっぱいに受けて接岸した船から、颯爽と降り立った軍勢は闇の影濃い荒野の戦場に一陣の風を巻き起こした。
ドゥネダインの精鋭、黒髪と金髪の三人のエルフ、勇猛なドワーフ、そして先達の王の霊魂までもが後押ししたその軍勢の先頭には、鍛え直されたかのナルシルを抜き放ったアラゴルンと、一際の輝きを放つ白の木の旗を掲げたハルバラドがいた。

その神々しさを敵味方に見せ付ける暇もなく、アラゴルンは劣勢の味方を救うべく突撃の号令を掛けた。
思わぬ方向からの攻撃に怯むオークの一隊を容赦なく切り捨てながら一丸となって突進した。
アラゴルンは広大なペレンノール野を挟んで、埃と血飛沫の向こうにローハン軍とゴンドール諸侯の旗印を認めた。

『エレンディーール!』

アラゴルンは全てのよき種族への想いを込めてその星の御名を叫んでさらに進んだ。


その時、アラゴルンとハルバラドの騎馬の間に、突然にハラドリムの精鋭部隊が斬り込んで来た。
大将と旗手は分断された。

今までのオークどもの軍と違う、甲高い金属的な鎧と剣の音がとり囲む。
ハルバラドは数人の部下とともに敵兵に囲まれていた。
ハルバラドはアラゴルンに向かって必死に叫んだ。

『こっちは任せろ、進め、進めぇ!!』

そして旗印を掲げたまま、片手で剣を振るい続けた。

アラゴルンは一瞬、ハルバラドの窮状に顔を強張らせたが、意を決して力強く頷き、決然と馬の腹を蹴って走り出した。ナルシルの剣は先祖伝来の家宝であることを止め、天に向けて真っ直ぐに煌めいていた。

ハルバラドはどこか安堵してアラゴルンを見送った。
彼はこの戦場で、とうとう王となったのだと思った。


後ろから槍の打撃を受けたハルバラドはついにバランスを失って落馬した。

致命傷ではない。
痛みをこらえて顔を上げ、間近に居たもう残り少ない部下の一人に叫んだ。

『旗印を、王の元へ、急げ!!』

ハルバラドは、同族としてはまだ年若いドゥネダインの兵士が、落ちた白の木の旗をしっかりと手に取るのを見届けた。

その一瞬が命取りとなって、反対の肩側から振り下ろされたハラドリムの剣に気付くのが遅れた。
必死の形相で繰り出した一撃も、相討ちとするのがやっとだった。

確かに敵兵の身体を貫いた感触を感じつつ、自らの力も血とともにぐんぐん抜けてゆく。

ハルバラドは斃れながら、既に霞みゆく眼でアラゴルンの馬とひときわ輝く剣を探した。

もう遠いらしい。

願わくは、ゴンドールの息子とやらいう男と同じように、彼の腕の中で死にたかったと思った。
それだけが心残りだと、ハルバラドは最期に笑った。



苦戦を続けながら血路を開き、少しずつミナス・ティリスの方に進んでいたアラゴルンのもとに、旗印を携えたドゥネダインの青年が現れたとき、アラゴルンはハルバラドの身に起きた事を知った。
そして前夜に彼が自分に言った言葉が蘇ってきた。
言葉をもって身をもって諭し援けてくれた長年の友にただ感謝をした。

アラゴルンは口を開きかけた青年を遮った。

『ご苦労であった。弔いの歌はもうすこし後にしよう』

そうでないとハルバラドがまた怒るような気がした。



Fin





『お前のためなら笑って死ねる』というのが、男同士の至上の愛だとなにか勘違いしているのですが。
そういう意味で、アラゴルンはめちゃめちゃに愛されている男だと思います。
原作でもエオウィンが『兵達が貴方についてゆくのは貴方を愛しているからです』と言ったり、レゴが『白の木の王への愛のために』なんて言ったりしていますよね。
エオウィンは男同士の愛のわかる女(=腐女子?)なんだなあ、なんて共感しちゃったりするわけなんですが。
過剰な期待と愛情を受けて、原作のアラゴルンはじっと覚悟して受け入れてる感じがしますが、映画のヴィゴゴルンはもう少しナイーブでフラジャイルな印象です。
自分が、兵達が命を賭けるに値する存在なのかどうか、どこかで疑問を持っている感じ。
それは名君の資質ではあるけれど、ボスとして頼りない部分でもあるわけですね。
それを彼に気づかせていくのが、ボロミアであり、ハルバラドであり、セオデンの生き方であり、と思うわけです。

ハルバラドはもう完全に私の捏造(映画では出てこなそうだし)キャラです。
野伏時代からアラゴルンの優秀な部下だけど、限りなく親友に近い(遠慮のない)スタンスに設定してます。
口が悪いけど忠実。絶対言わないけどアラゴルンにベタ惚れ、旅で再会してからは微妙にボロミアに嫉妬してたりして。
もちろん野伏時代はお気楽な同意で寝てますよ。
ハルバラドはペレンノール戦で戦死しています。
あんなに鳴り物入りで登場しておいて、原作では最期はなんと1行で片付けられてしまっています。
ちょっとかわいそうな気がして、彼の最期とアラゴルンへの暑苦しい思いのたけを勝手に捏造してみました。
でもかなり不完全燃焼。私の脳内にある彼らの雰囲気が全然文章に反映されません。
彼らがどちらかというと言葉の要らない関係だからかもしれません。
でもいつかまた「彼らの物語」にリベンジしてみたいと思っています。




目次に戻る