I Have Been in You



イシリエンの城主にしてゴンドール執政のファラミアは、その居城の執務室から南向き、すなわち都に向いた方のバルコニーに出て夜風に当たっていた。
落ちつかなげに都の方を見遣っていた視線はいつからか澄んだ秋の星空に泳ぎ、秀麗な額には心なしかの愁いが降りる。

『ファラミア様、寒くはあられませぬか』

ファラミアは物思いのゆえ、後ろから近づく控えめな靴音にも気付いていなかった。

『十月とはいえ、夜風は思いのほかお身体を冷やしますゆえ』

ファラミアが振り向くと、近衛隊長のベレゴンドがファラミアのマントを持って立っていた。
ベレゴンドは礼を失さぬよう気を配りつつ、その大きな躯体で自らファラミアを包み込むようにしながらマントを着せ掛けた。

『・・・ありがとう、ベレゴンド。そなたは、今夜は非番であろう?』

ファラミアは振り向きはせず、マントとともに肩に置かれたベレゴンドの手に手を重ねた。
公私の間を破るのは、いつまでたっても二人とも苦手であった。

『ええ、しかし』

ベレゴンドもまた口ごもる。
主君の心が落ち着かぬ理由はわかっている。

臨月の公妃エオウィンさまが御産の為に都におられるのだ。
侍医によると逆子かもしれないということで、アルウェン王妃の勧めにより優秀な産婆をたよって都に上られている。

何も言わず、半歩後ろで固まっているベレゴンドを見かねて、ファラミアは明るい声で言った。

『はじめて父になろうとする男とは、頼りないものだなあ、ベレゴンド』

ベレゴンドはその言葉にますますどぎまぎした。ファラミアの肩の上の手も引くに引けない。

『エオウィン様は、お身体もお心もご丈夫であらせられますので・・・』

ベレゴンドは寡夫であった。一人息子ベアギルの産褥で妻を失っている。
そのことを主君に話したことがあっただろうか。
縁起でもない話題にならぬように気をつけねばならない。

『そうだな。わたしは、待つしかない』

ファラミアの言葉はいつものように穏やかだった。

『ベアギルとペレグリン、メリアドクも都についていてくれるしな』

ベアギルは近衛に出仕するまでの数年の間、都の療養院で医術を学んでいる。
他でもないファラミアが、ベアギルの聡明と思いやりの心とを見込んでそうさせたのだ。

『あの立派なベアギルを男手ひとつで育て上げたそなたにだけ話す』

ファラミアの視線は再び空の星々をあてどなくさまよいだした。

『わたしはよき父となる自信がないのだ』

その言葉は穏やかで、口元には微笑すら浮かべ、しかし普段感情を表し難い目は哀しみをたたえていた。

『そのような、』

おもわず反論しようとするベレゴンドをファラミアは制止する。

『わたしは母の胸を知らぬ。そして父とも、あのようであった』

自分を責めるときのファラミアは、いつにも増して冷静なのだ。

ベレゴンドは言葉を失った。
ただ後ろから、身体を固くするファラミアを包むように抱いた。

(ファラミア様、貴方はすべての悲しみと苦しみを越えて、愛をお持ちの方だ・・・)

ファラミアの、家族に対する複雑な心中を共有し得たのは兄のボロミアひとりであったかも知れぬが、ボロミアはすでにこの世にない。
ファラミアと父デネソールとの葛藤の末を共有したのは自分だけだという自負を、誰にも口にはしないがベレゴンドは持ち続けていた。
公子と近衛という立場を越えた関係を続けることへの、言い訳かもしれなかったけれど。

秋の夜風にすこし冷えたファラミアの巻き毛に鼻先を通して、ベレゴンドはファラミアの耳元に話しかけた。

『ファラミア様は、ご立派な父上になられますよ。わたくしや、ヘンネス・アンヌーン時代の兵達は既に父のように貴方をお慕いしておりますゆえ、明らかでございましょう』

そう言いながら、ベレゴンドはふと心中複雑なものがよぎるのを感じた。

立派な父上に。
もしもファラミアに男子が授かったとしたら、ファラミアの寵愛を一番に受けるであろうその男に、もしかしたら自分は嫉妬するのだろうか。
エオウィン妃には、一度も抱いた事の無い感情であったが。

もっとも自分らしくないそんな疑念を、ベレゴンドは振り払おうとしたが、腕はその力を強めてファラミアをがっちりと縫いとめようとするばかりだった。

(いっそ今晩はファラミア様のお悩みに乗じて)

ファラミアをその胸に抱いた時の自分の不埒さを、未だにそら恐ろしく感じるベレゴンドであった。

『ファラミア様、父親とは子息の模範、健やかにご丈夫でいらっしゃらねばなりますまい。さあ、今はお悩みを忘れて、お部屋へ』

ベレゴンドはファラミアを護るようにして室内にいざなった。
ファラミアはランプの灯る執務室に戻りぎわ、ふんわりとした微笑をベレゴンドに向けた。
父となる日の不安に戸惑う自分が妙に可笑しかった。

ベレゴンドは寝椅子にファラミアを倒してマントをかぶり、くちづけた。

『不埒なわたくしをお許しくださいますか?』

マントの下の不安定な暗闇の中で、ベレゴンドはファラミアの頬や首に唇を落としながらたずねた。

『そなたのどこが不埒か、わたしにはわからぬ』

ファラミアはわざと真面目な声で言って、ベレゴンドの背に手を回した。





ドンドンドンドン。
『ファラミア様!ファラミア様!』

ベレゴンドは窓に門番の戸を叩く音、部屋に射しこむ朝日に目を覚ました。
そして次の瞬間、仮眠用の長椅子で主君の身体に腕を回して眠り込んでいた失態に気付いた。

ベレゴンドは跳ね起きると服をかき集め、抱えながら奥の書庫に隠れて戸を閉めた。

ファラミアは薄い夜着一枚に、手近の上着を羽織って立ち上がった。

『・・・ど、どうした!』

辛うじて叫んだファラミアに、業を煮やした門番が応える。

『ファラミアさま!都からのお使い、ペレグリン殿とメリアドク殿が早馬にて参られましてございます!!』

『と、通せ!!』

駆け込んできたペレグリンとメリアドクは、辛うじて片膝の礼をしながら弾けるような笑顔を見せた。

『ファラミア殿、おめでとうございます!!』

そこでしばし顔を見合わせたペレグリンとメリアドクは、視線だけで小突きあうようにした後、ゴンドールの近衛たるペレグリンが神妙に口上した。

『ファラミア殿、公妃エオウィン妃殿下は昨夜半すぎ、お元気で光り輝かんばかりの姫君をご出産なされました。もちろん、妃殿下もご健勝です!』

『おお、そうか!ペレグリン、伝令ご苦労であった!』

ファラミアは思わず身を前に乗り出して、ペレグリンの手を握った。

ふとその時、来客用の低い机の脚の辺りに、昨晩の無様なる名残、ベレゴンド近衛服の黒いズボンが丸まって落ちているのを見つけてしまった。

動きのぎこちないファラミアを見て、門番とペレグリン、メリアドクは、普段冷静なファラミア公も愛妻の初産はご不安だったものとみえる、と微笑ましく思っていた。

なんとか二重の『常ならぬ事態』からやっと落ち着きを取り戻したファラミアが三人の祝いの言葉をひととおり受け終わったあと、メリアドクが立ち上がった。

『ファラミア殿、私はこのままローハンの早馬に乗り換えて、エオウィンさまの御郷にこのおめでたい報せを届けに参ります。ご無礼ですが、これで』

深々と礼をしたメリアドクは、とうとうベレゴンドの忘れ物に目を留めてしまった。
利発な目をくるりと輝かせたメリアドクは、吹き出しそうになる口元を必死に引き結んで耐えた。

『メリアドク殿ご苦労である、エオメル王に心から宜しくお伝えして頂きたい』

ファラミアの言葉にもう一度礼をして、メリアドクは部屋から下がったが、すれ違いざまにペレグリンに悪戯な笑みを残していくことは忘れなかった。
ペレグリンは慣れ親しんだ『了解』の合図をメリアドクに送ってから、ファラミアに向き直った。

『ファラミア殿、ひとつお願いがあります。わたくしも年が明けたら父となる予定なのです。もしも男子を授かりましたらば、長男にファラミア殿のお名前をあやからせていただけませんか?』

ファラミアはペレグリンのめでたい申し出に温かく微笑んだ。

『ゴンドールの家臣たちは昔から、王や執政の名前を授かるのが伝統なのだ。わたしで良ければ、是非に』

ペレグリンは恭しく頭を下げた。

『ありがとうございます、ファラミア殿。ときに』

ペレグリンはメリアドクから受けた悪戯指令を忠実に果たした。

『ベレゴンド殿はどちらにおいでですか?きっと、このおめでたい報せをイシリエンで一番に知りたがっておられると思いますが?』

ファラミアは天井を仰いだ。小さい人にはどうも敵わないらしい。



そのころ奥のファラミアの書庫では、ベレゴンドが冷汗をかきながら息を殺していた。

小さい人たちの興奮気味な報せを聞いて、昨晩の夜風の中で抱いた湿った考えが全て吹き飛ぶのを感じた。
すぐにでも飛び出して行ってファラミアにともかく祝いの言葉と抱擁を捧げたいと思った。

しかしズボンがなくてはここから出てゆくわけにもゆかぬ。
おりから、ペレグリンの元気な声が響いてきた。

『ベレゴンド殿はどちらにおいでですか?』




おしまい



2003年10月、ディヴィッドがカールの子を産み、ではなくて、めでたく一女のパパとなられました!!
そんなわけで、おめでとう記念パパ公受けficでも書いてみようかと思ってました。
実は、『俺はこいつの息子に嫉妬するだろうか』というネタは狩公fic用のネタでした。
でも、今ひとつ普通のRPSにせよAUにせよ、設定がしっくり浮かんでこなかったので、
いっそ指輪で!ファラミアで!と書き直したのがこちらです。

日常での嫉妬とか不安とか、そういう感情ってあんまり『指輪的』ではないですよね。
それで、今回のficではベレゴンドもファラミアもアウトキャラな気がちょっとしてたのです。
ただ、『執政家』の人間関係は指輪の中で際立って現代劇的なリアリティがあると思うのです。
そしてベレゴンドも、執政家のドロドロを見てしまったうえでファラミアを盲愛し、
忠臣であり続けながらきちんと一線越えるところは越えている(笑)、
地面に足のついた(頭でっかちでない)生命力の強さっつか、心の命ずるところに従うキャラだといいなー、と。

ところで、"I Have Been in You"はフランク・ザッパの曲です。
どうみてもシツレンの歌ですが、ここではベレゴンドのちょっとした喪失感(笑)と、
ズボンが語る"He had been IN him, last night"を掛けてみました。


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